◆BVEの話(はじめに)
先月「でんちょく電機」のでんちょく氏が、クラウドファンディングで全金属製のマスコンを製作することが話題となっていましたが、その流れでのBVE界隈での出来事について考える時間ができたので、こちらも色々書き遺しておきます。単独記事ですが、かなり長いです。
◆BVE2時代から身近に楽しんだ一人として
BVEとの出会いは、2005年(mixiが主流だった時代)。ネットサーフィンでたまたまヒットしたのが始まりです。自宅は狭く、小さいアナログテレビな上、TVゲーム禁止の家庭でした。当時からデスクトップPC越し(WidonwXPでブラウン管モニター)に、実写映像を使用した「京王線」「千歳線」「井の頭線」などを運転していましたが、映像はカクカクで一部区間のみ実装。最初は面白みを感じていたものの「もっとリアルな運転がしたい、電車でGOみたいにリアルなゲームがしたい」などと、当時小5だった自分は運転することに飢えていました。
この頃はまだ、発車メロディーサイトが活発だったので、それと並行する形で没頭しており、毎日のようにPCにかぶりついてはIEで「リアル電車運転ゲーム」などと検索しては探していました。「おぱく堂の電車走行キット」なんかも、その時に発見してます。そして気づけば、当時のBVEサイトに行き着きます(トップページは、BVE2と4のアイコンが表示されており、それぞれのバージョンへリンクしているデザイン)。経緯は忘れてしまいましたが、はじめて運転した路線は「電車の車庫」様の「
りんかい線」と、「RON'S BVE」様の「
松浦電鉄本線・松浦浜線」。特に架空鉄道の松浦鉄道が沿線をリアルに再現されていたこともあり、「実在路線は殺風景でつまらない、架空鉄道は沿線がリアルで楽しい」という一種の偏見を形成させていきます。
その後は、舞姫様の柏鉄道フォーラムにたどり着き、そこで色々な路線に触れていきました。現在でも活動されている中野かずさ氏の
総武線・東金線や、ノ付氏の
飯山線、高橋うさお氏の
国鉄相模線、
東横線ATS時代(8000系ver)、
田園都市線(2ver)、
世田谷線、
江ノ島電鉄、
近鉄大阪線(上本町→桔梗が丘)、竹露庵様の
井の頭線および
五能線などなど、プレイしたのもこの時期。すごく楽しませていただきました、自分にとっては尊敬すべき人たちです。で、当時は恥ずかしながら、小学生でパソコンの知識が不十分だった自分にBVE本体のダウンロード方法なんて1ミリも理解できず。「掲示板は怖いサイト」だと学校で教え込まれていたので、父親に頼み込んでインストールしてもらいました。慣れた頃には、自分でデータを入れられるようになったので、フォルダ内は古今東西・実在路線~架空路線まで、かなり膨大な量のデータが入っていました。そのHDDは今もどこかで保管されているんですが、今後何らかのタイミングでデータを発掘できて、運転できたのなら、俺は死んでもいい。…大げさか。
BVE2時代、特に頻繁に遊んだ路線を下記に列記しますが、これらすべてを「知っている」「運転したことがある」という方は、ユーザーとしては俺と同じ歴戦の猛者です。仲間です。SNSを知らない時代から遊んでいたので
「自分だけが知っている、秘密の架空路線」という、もはや記憶の中だけで生きている失伝作品なのですから。
◆BVE2~4時代に遊んだ路線(架空鉄道)
①
松浦電鉄本線・松浦浜線
ご存じ車両オブジェクトは昔から変わらず有名。RON'S BVEによる架空鉄道路線。特に運転していたのは、松浦浜線。東急沿線民になじみ深いモーター音を響かせて運転できる700系が特に好きでした。複線区間、併用軌道、単線区間、海岸区間、トンネル、車庫、縦列停車できる終着駅(当時ATSの確認がわからず、しょっちゅう非常ブレーキがかかり停車できなかった)。対して本線は、どこか京阪と京急らしさを混ぜ合わせたような路線。120km/h運転で複々線を駆け抜けるのが爽快。松電山崎駅からは空港線に入り、途中の石川町駅まで運転できましたが、そのまま杉浦空港駅まで延伸は叶わず。
②
平上鉄道平上線・布川線・西内線・吉田町線
BVE2時代、特に有名だった路線です。伝説の路線。京王線をベースとしながら、名鉄や京急の要素が入っており、特に自分がとてもドはまりしていた路線。当時は平上本線、布川線、西内線、吉田町線がプレイ可能で、種別も多種多様。平上本線各駅停車では、当時BVE2では画期的だった「運転形式のランダム選択」を採用していました。データが少々重いというのが弱点でしたが、それでも後述する路線に比べたらまだマシです。現在製作している青陽電鉄も、平上鉄道時代から続いていた「架空路線を作りたい」が原動力となっており、20年を経てようやく実現にこぎつけたので、今でも思い入れのある路線としてリスペクトしています。ちなみに大倉線という山岳路線も存在していましたが、こちらは運転できず。東急沿線の人間として嬉しい作品でもあったので、二度と日の目を見れないのは残念。下記に印象に残っている部分を紹介。
平上線:平井~布川台~川名橋~遠山台~小林中央~平電長沢~坂本~大倉山~伊藤新町~八巻~上村町(目まぐるしく変わる景色、長い路線、トンネルや橋のバランスよい配置、過密運転、バリエーション豊富な踏切音にベル、通過待ち合わせの再現)
布川線:内海~下布川~川名橋~布~奥布川(のどかな平地区間から川名橋を境に山岳区間へ変貌するストーリー性。当時指定車両が空気自動ブレーキだったので難しくて運転は避け気味)
西内線:西内~下布川~師蒲~小林中央(師蒲→藤棚を経て、紅葉坂・権太・遠山緑ヶ原で3駅連続の半地下構造駅というトンネル好きにはたまらない面白さ)
吉田町線:伊藤新町~見明山~あすなろ台~吉田町~橋本(運転区間は短かったものの、町の密度はよりリアルで現実的)
大倉線:大倉山駅手前から、大師線のように分岐して地下ホームへ繋がっている路線だった気がする。途中に椿地蔵という名前の駅もあったような。
③
はまかぜ高速鉄道東西線
saitamadragon氏のサイト「融合壱六零」にて公開されていた架空路線。当時足立学園様の鉄道研究部が「ATC鉄研マガジン」というサイトで「秋篠市営二条町線」を公開しており、駅名と車両にこだわりを感じさせる完成度の高い路線でした。
(駅名:上洛二条町-?-秋西-淡行町-境丘-?-森若口)
上記の地下鉄路線をさらに延伸させたのが「はまかぜ高速」で、地下鉄とは打って変わり、通勤型車両が130km/hで走行するというTXリスペクトなオリジナリティあふれる路線でした。車両もさらにレパートリーが増え、個性的ながらも現実に寄せた車両デザインが魅力でした。東武をイメージした車両が多く、運転出来た車両には「10030系似で、交通局の白い悪魔のモーター音を出す車両」や「東武20000系の鋼製版且つ2扉で最高速度200km/h」とかいうエグい性能の車両、青電1000系デザインの参考になっている電機子チョッパ制御を装備したやや古めな車両など。自動放送も、この当時としては貴重な「女性アナウンス」を採用しており、メロディーも多彩で、沿線風景もすべて手作り。車両オブジェクトは車内も個別に再現するなどとクオリティは段違いでした(レインボーブリッジみたいなデカい橋を走る区間もあった)。青電の影響はここでも結構受けています。特に1000系や2000系あたりはこの路線のアイデアが元と言っても過言ではないです。※元は青電も別の路線名で、ATC使用の130km/h運転・6両編成前提で作っており、変更に伴って標準軌から狭軌への改軌、編成両数の長大化をおこなって現在に至ります。
駅名もなかなか個性的でした。15年以上昔ですが、全駅覚えてるので記載します。推しなので。
森若口(もりわかぐち)
:地下の巨大ターミナル駅。発着番線が多い。
新濃瀬町(しんのせちょう)
:二層式、出口は左・屈強なホームドアと大井町みたいな地下駅。
舞出筋(もうてんすじ)
:上に同じ。
沢曲(そうま)
:上に同じ・ただしホームが右側になる。
哲木(あきぎ)
:2面4線の退避可能駅。普通はここで通過待ちのイベントがあった。
八桜寺(はちおうじ)
:地上へ出て初めての駅。掘削区間にあり、島式1面2線、外側に通過線。ホームドア無し。
五辺流瀬(ごべながせ)
:おそらく二層式、出口は左・屈強なホームドアと大井町みたいな地下駅。
流瀬の大堰(ながせのおおぜき)
:哲木と同じ構造だが、五辺長瀬とは駅間が短い。
岩水寺(げんしょうじ)
:五辺流瀬と同じ。この先で地上に出て、交直デッドセクションを通過する。
高速秋篠(こうそくあきしの)
:いわゆる要塞型で、地上にJR秋篠線(十字交差)、3層目に月山線ホーム。
浜賀津川(はまがつがわ)
:高架区間で、対向式2面2線。ホードアは東急目黒線タイプ。発車メロディーがベル。
鳩山(はとやま)
:第二千曲川橋梁っぽい橋(通称風の橋)を渡り、掘削区間の駅。構造は上と同じ。
櫟東(くぬぎひがし)
:ほくほく線に似た構造の対向式ホームな駅。車内放送でもホームに残るなと注意される。
くぬぎ台(くぬぎだい)
:公開区間としては終着駅。外側本線、内側待避線の対向式2面4線駅。
以降は、はまかぜ林間、軍艦センター、はまかぜいこいの森公園、囲温へと続いていくはずでしたが、くぬぎ台で打ち止め。さらに囲温駅から先は別作者と相互直通運転していた…という、絶対誰も知らないであろう設定がありました。
④
東都高速電気鉄道
ブラックジャック氏による「BVE鉄道開発部」で公開していた架空路線。こちらは都会の通勤路線をイメージして、緑基調の10両編成が往来する路線。駅には多数の乗客オブジェクトが配置されて非常に賑やか。それゆえにデータは非常に重い部分もあり、運転は大変でした。特に個性的だったのは、水色一色で、313系をイメージしたような特急型の10000系電車。IGBTであろうモーター音を聞いた瞬間惚れてしまい、わざわざ軽量版(車両データをコメントアウト)を自分でこしらえて運転してました。(当時からデータの重い原因は車両オブジェクトだった)
路線は山瀬駅から高架複々線区間の外側を走り、上崎中央駅で地上に出て、住宅街区間に入る。そして川を渡り、トンネルを2つ超えて隣町のターミナル駅へ至る。日中バージョンの急行と、夕方ラッシュバージョンの特急のデータがありました。すごく楽しかった。青電でも「上崎駅」がありますが、ここから取ってきています。
⑤
蛇腹沼鉄道
内容としては、甲北本線の性格に近いかもしれない。国鉄型車両を運転で来る架空鉄道で、山岳区間の再現が非常に魅力的だった。大沢田駅を起点に、単線区間を経て複線区間へ。かなりの長距離路線で、一時期はBVE4でも運転できたものの、現在はダウンロードできず。こちらも車両データを同梱していました。駅名は覚えている限りだと…、大沢田、暮(くれ)、暮谷(くれだに)、日向矢和田(ひなたやわだ)、人里(へんぼり)。101系や113系115系、165系が車両データのレパートリーにあった気がする。最終的には銀城鉄道という名前に変わってました。
⑥
神奈川鉄道・浜急行鉄道
通称、神奈鉄線・浜急線。こちらはホームページが残っているので興味あれば調べてほしい。実在する地名を基に拵えた架空路線です。現在では当たり前となっている他者との共作ですが、こちらは多くのユーザーと路線を共有し合って相互直通運転しており、各作者同士で車両オブジェクトを譲渡車設定としてリースしたりしてました。気の知れた仲でないと、他社のデータを自路線用に譲渡改造する…みたいなことは出来ないと思う。作中でも時間が進んでおり、当時は現役だった5000系が引退していたりと、リアルタイム性にも定評があったと思います。こちらも車両データが重く、Object欄から車両データをコメントアウトして運転してました。当時のXPがもう少し性能が良ければ…。ちなみに直通路線の一つであった東奈急行の作者様は現在、城東急行電鉄を公開されており、あの頃の世界観(神奈川県感)を残しつつ、個性的な路線を作られております。私も運転しております、なかなか面白いぞ。
⑦
胡桃ヶ崎鉄道・寺野鉄道
「ぴゅあぴゅあとれいん」の鳥風瞬様の作品。YouTubeで転がっているので調べるとすぐ出てきますが、それとはまったく違う路線を公開していた頃のモノです。岬浦線、桜山線、夏優線、座見線という名前だったはず。東海色や末期色の車両が魅力的な関西をイメージする路線ですが、113系ベースの車両や、車両紹介に記載されていない謎多き車両たちのオンパレードで、車両好きにはたまらないデータでした。オブジェクトビューワーでひたすら全車両眺めてましたね。湘南色のオーシャンアローとか、両開き2階建て1両編成車両とか。特に桜山線が面白かった。始発駅は山の中らしく、複線ながら長大トンネルで山下りをし、市街地へ出るというシナリオ。沿線風景は殺風景ですが、線路回りが非常にしっかりしており、長距離ながらすごく楽しませてもらいました。二見線が途中で終わってしまっているのが痒い…。
⑧
京滋阪奈急行電鉄・中丹萌硫黄の丘鉄道
上記と同じく「ぴゅあぴゅあとれいん」による作品で、こちらは関西を舞台にした架空路線。沿線が殺風景ながらも地形に富んでおり、距離も長く、すごく楽しませてもらった記憶がある。駅名には「手原駅前」「ダイハツ前」「雪見坂」「綾部市」「福知山駅前」「長田野工業団地」「北近畿空港」というのがあった。車両もやはり京阪や阪神をイメージした車両が多く個性にあふれていた。
⑨猿投鉄道・東海地方鉄道
もりぞーうぇぶ様の愛知県を中心に展開していた架空路線。石野から当時の名鉄三河線と接続する枝下を通り、トンネルで山を貫き、八草駅、本郷方面へ向かっていました。車内放送はおそらく「ゆっくりボイス」。田舎の地方私鉄な区間から、やや線形が整った地下区間を走る二度美味しい路線だったなと。ちなみに地下区間での発車メロディーは「エリーゼのために」だった気がする。BVE2のシステムの関係上、メロディーが鳴り終わる前にドアが閉まるときがあったので、発車したタイミングで「ドアが閉まります」って放送のかかる事案が割と多かった。当時は気にならなかったけど。
上記の架空路線、全部知っていて運転したことあるぞ!って人いたら、超喜びます。
また当時から、フリー素材を提供していただく方も多くおりましたが、今はかなり減った気がします(製作環境がcsvから3dソフトに変わった影響か)。逆に、車両データ単体公開の制作者は、BVE5の発展と共に増えていったなと。かつての25m縛りだった路線制作も、0.01mでの設置が可能になるなど幅が広がった影響か、架空鉄道より実在路線を作る人が圧倒的に増えて、気づけば架空鉄道製作者は肩身の狭い気持ちに…。製作ブログを毎日チェックし、公開されたらダウンロードして遊ぶ、あの頃が懐かしく感じると同時に、ちょっと寂しい。
◆BVE5となって最近思うことと自分自身の変化
公開していた時期は、SNSにYouTubeというツールが発達しておらず、作者各々は「自己満足で公開し、評価が気にならない程度の余裕があったから、自由に楽しんでいた」という印象が強いです。オフ会は存在していたと思うんですが、オフ会の「オ」の字すら知らない人間だったので、ただひたすらに一人で黙々と製作し、遊ぶのがBVEだと思っていました。ぶっちゃけると、その気持ちは今でも変わらず(一時期忘れて、また最近戻ってきた、という表現が正しいか)。TwitterのRTいいねの為だけに動いているだけじゃ、そりゃ気力が持たないです。自分もそう。今は簡単に評価コメントが共有できる時代になってしまい、高評価に加えて狂気も同時にあてられ、それで心犯される作者も数知れず。人によっては同人作家を兼ねてる人もいますし、ちょっとした発言がキャンプファイヤーになるので余計に疲れ、それが創作にも影響を及ぼします。
一番心をえぐったのは「BVE2時代から活躍する作者」が、インターネットネイティブ世代に「あの人また(ネガティブな言い回し)してるよ」と、尊敬の意もなくただ冷ややかに後ろ指を指されていた事。ネットだから何してもいいというのは場違いだけど、自分ですら錯乱を起こしてしまうぐらいですから、それだったらいっそ「SNSでリアルタイムな発信はせず黙って作業していたほうが得策だ」となり、能登半島地震でのデマ発信が後押しとなった結果、俺はTwitterから卒業できたわけです。一時期データ配布のために戻ってきてたんだけど、また毒されてきてヤバいと感じて「今後もお世話になる人」へ挨拶してから立ち去りました。
一周回って、20年選手の自分にピッタリだと改めて思い知らされたのは「個人サイト」で「制作日記をhtmlで手作り」し「SNSでの発信をほぼ辞め」て、データを制作する環境を昔の状態に近づけることでした。そんでもって、評価コメントは「リアルでお会いした人たちに重きを置く」。
甲北線のDM限定配布(乞食覚悟のリプライによる抽選形式)をおこなった数日間は、本当に必要としてくれている運転手の皆様からメッセージを頂き、まことに幸せな時間を過ごすことが出来ました。「BVEの作者として苦労した甲斐があった」「架空鉄道も認められていた」という事実をようやく受け入れられ、自信がつきました。なので、ネットユーザーを一律排除したいわけじゃないけど、この余韻が運転会を経てもまだ続いているため、しばらくは飽和状態にならないようそっとさせておいてください。※Twitterアカウント自体は消えてますが、頂いたコメントはすべてスクリーンショットで保存させていただいてます。
◆それでも良かったことはある
でんちょく氏主宰のオフ会でも「BVEはいつごろから始めたのか」という話題がありましたが、皆さん2010年後半以降が多く。話を振られたときは素直に「2005年です」と伝えるとものすごく驚かれました。インターネット老人会の人間です、否定はしない。その日は自分の他にも、BVE2時代から路線データを作り続けているレジェンドが参加されていたので、"データ軽量化"の話を出来たらなと思ったんですが、結局忙しくて情報交換できず。積極的に話に行く度胸が足りない人間性なのでちょっと悔やみました。それでも生来の「一人で作る」時のほうがモチベーションはかなりデカいので、今後も自力解決するでしょう。最近の奥羽本線についても、運転士の皆様から面と向かってフィードバックをして頂き、おまけに主催のでんちょく氏本人からは「期待してるんですよ」などと、とんでもない圧を受けてしまったので。
同人界隈(またその話か)でも、サークルスペースでその話があったら死ぬほど喜ぶことがあるし、逆に自分がそう伝えるよ相手も喜んでくれる。褒めあうのって大事。
ちなみに「誰かと協力して作品を作る」という姿勢には消極的で、せいぜい他者が自身の作品に関わるのは、あくまでも「必要最低限」で「それ以上に深い関係は無い」というのが基本です。過去に様々な場所でコラボ→炎上の現場を見てきたので、それならひとりで黙々と…という気持ちでした。ところが甲北線にて「国鉄風なアナウンスがあるといいなー(要約)」などとYouTubeでぼやいていたところを「私にやらせてください!」と恐れず自ら役を買って出てくれた人がいまして、しばらくは懐疑的だったことから「パッチデータ」扱いで公開していました。ところが箱を開けてみたらビックリ、クオリティが予想以上だったので、後日より正式に本データ化に。この時のやりとりがなければ、多分今もアナウンスの実装なんて無かっただろうし、奥羽本線のアナウンスや、同人創作「StaffRoom」で声優さんに収録をお願いする、なんてこともなかったわけです。スミスも居なかった可能性がある。
特別すごく感謝してます。
◆電車でGOが遊べなかった貧乏人の見解
なんだろう、初期から遊んでいた人間としては、BVEはアンダーグラウンドで、知る人ぞ知るマニアックなゲームととらえていて、それに対するのが電車でGOでという認識。
ライト層=電車でGO
コア層=BVE
それがいつの間にか、SNSの発達と共にユーザー層が広がり(主に低年齢層に認知される機会が非常に増えた)、再現鉄・模擬鉄といった新たなジャンルが現れ、テレビ取材を受けて注目されたり…。趣味としてホソボソやっていた枠から抜け出して、大衆に認知されつつあるというのは、正直自分としては複雑な気持ちである。でもこれはきっと、最近BVEを触り始め、製作を始めたって人にとっては老人も同然の考えなのだろうな。鉄道の運転を文化としても残すのは全肯定ですが、逆に「無料ゲームとは?」という哲学じみた思考実験に陥ってしまう訳です。つらいぜ。
路上ライブで、誰にも注目されなかったアイドルが、数年経過して日本武道館に立つほどメジャーな存在になった、みたいな感じ。
◆面倒くさいけど、やめられない
宮崎駿監督の名言に「めんどくさい」がありますが、生きとし生けるもの、"創る"という行為は面倒で、面倒なのにそれでも続けたい、面倒くさい人間。人はめんどくさくても創りたいものがあり、その山の頂を渇望してます。
BVEも、そうやって今後様々な困難に直面すると思うけど、俺は多分それでも作者とユーザー両方で今後も続けていくと思う。たとえ周りの同志がどんどん脱落していっても。若い世代が新たな側面から新境地を開拓し、追い越されようとも。
◆さいごに
奥羽本線(山形線)、青陽電鉄を引き続きよろしくお願いします。多分この2路線は、自分にとってBVEのある生活として集大成の作品なので、大切にして半永久的に公開を続けていく所存です。今まで公開した中でも取り下げた作品が多いので、あんまり信用されていないと思いますが。オフ会を通して生の声が聞けたのは、20年間活動していて本当に貴重な経験だったので、生きている限りはもう少し頑張ってみようと思います。
すべては自分の作品が、かつて作品を生み出していった人たちのように、みんなの記憶に残るように。
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