amazarashi「夏を待っていました」とPeople In The Boxの「六月の空を照らす」がよく似合った季節、終わりまして、初夏です。30回目の夏。強い意識を保ちながら、"過去"と"現在"が色濃い共存する季節変動は初めて。さらに向こうへ行けそうです。
◆「引退します」という言葉の悲哀
「やる暇がないので引退します」って人が、歳を重ねるごとに増えている印象なんだけど、その時に「暇がないからスッパリやめてしまう他人」と「暇が減ってもやるときはやっている自分」とで比較をしてしまう。もちろん私生活に重点を置かないと命がいくらあっても足りないとか、無理できる年齢を過ぎたから健康第一にいこう、だとかで守りに徹するのも当然な考えではあると思う。逆に、自分の限界を無意識ながら試そうとする人もいる。ここにいる。
学生~20代後半というのは、何事も挑戦!という熱気に満ちている部分は多いが、やはり経験を重ねると新鮮味がどんどん薄れていくのか、「このぐらいでいいか」と打ち止めしてしまう人も一定数いて、そういう"限界を知ったのでこれまでにしておこう"みたいな、趣味や夢への情熱の諦めを目にしてしまうと残念だなって気分にもなるし、ちょっと落ち込む。
親、周りの不機嫌そうな同級生、ほか自分の周囲にいる人間の顔色を常に窺って生きていたから、そういう面に関しては多感なんだけども、園児の頃から独特な世界観をもっていた我儘な性格もあって、"バカ出来る友達"はそれなりにいたけど集合体としては馴染めずにいた自分なので、今でも熱中するときは本当に熱中して物事に取り組んで生きてます。一日三食も睡眠も忘れる程のフロー状態になるタイプですが、同時にネット付き合いの長い友達からは「彼のすべてを知るのに5年は少なすぎる」を言わしめられる程の攻略が難しい人間と認定されていた。
どこかの見ず知らずの赤の他人が、夢中になるほど取り組んでいたコンテンツに対してあっさりと「引退します」宣言するというのは、「その程度だったのか?」と思ってしまい、そしてそう考えてしまう自分を変なんだなって。
昔から、タダのヒトという埋もれた存在になってしまうのが嫌で、かなりがむしゃらに好きなことを好きなだけ好き放題に取り組んできたから、そのおかげで心は満たされてきたし、同時に同族嫌悪にも悩まされ、SNSにも毒された。歳を重ねていくにつれ、滅茶苦茶だった20代が終わり、Xから足を洗った段階で30代になったことで、新しい自分をスタートする区切りができた。これからは過去の経験をもとに新たに繋がった仲間・同志を引っ張り、時には引っ張られながらも、まだ見ぬ高みへ目指して上っていこうと思った。
良いモノも悪いモノも貪欲に取り込んでしまった20代を、この30代で浄化できるかが今後の活動の鍵。
良いモノも悪いモノも貪欲に取り込んでしまった20代を、この30代で浄化できるかが今後の活動の鍵。
◆DIVE TO WORLD
平成時代(2005年~2009年ごろ)のリバイバルブームが自分の中で起こり始めている。SNSでの他者からの視線にとらわれず、マイペースに活動する、あの頃のいわゆる"インプレッションに囚われない、紙媒体を主とした実力主義の世界"に回帰したい。あの頃のパンクなデザインは、見る分には好きだけど自分で表現するにはまだ安易に手を出せる感じがしない。"あの頃"のファッションは ちひろ に着させても悪くはないかも。スミスだったらロゴ服絶対着ない人だから、良くも悪くも彼女は"令和の女子"だなって思う。逆にちひろは若干平成時代の女子要素がある。機会あれば着せてみよう。
うちの子は記号要素が「顔」と「声」に集中しているので、服装は各キャラのポリシーを厳守すればなんでもいけるから、なんだかんだでジャンルが「ファッション系うちの子創作」という概念で定着しつつあるね。
◆暗黒期以前~最中に聴いた楽曲
昔流れてた曲をなんとなくリピートするのが最近の日課です。昔の記憶は嫌い(特に学生時代)だけど、一人で黙々とPCで鉄道に触れていた時期だけは幸せな時間だった(当時は現実逃避という言葉を知らない)。子供時代は本当に鉄道一筋だった。それ以外本当に眼中にない。その熱意がMMD、絵描き、音楽など別の形として存在し続けているんだなぁ。みつを。
RHYTHM「ホウキ雲」
最近某パンアニメをネットで全話視聴してたから。
CHERRYBLOSSOM「DIVE TO WORLD」
この感じが自分にとってのパンクなTHE平成。
いきものがかり「ブルーバード」
Twitter...(この頃は"ツ"の字すら知らなかったけど)。
アンジェラ・アキ「愛の季節」
連続テレビ小説「つばさ」の主題歌。多部未華子みたいなのがタイプでした。
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